女喰い聖書・企画2006年4月4日
【寧々テキスト〜第十一話〜】




■2001年4月19日・更新 <第十一話>

『すれ違う二人』

慌てて電話に出た俺。思わぬ相手からの電話に謎と期待とが混ざった心境だったが、謎はすぐに解き明かされ、期待は泡のように消えた。

「お前…こずえに何をした?」

今日一日付き合ってみても初めて聞く神妙な趣のトーンで寧々は言う。今にも溢れ出そうな怒りをかろうじて押さえ、冷静に努めようとしているのが受話器の向こうから痛く伝わってきた。

「何をしたってなに?」

それに飲まれそうになり、思わず聞き返してしまう俺。

「さっきこずえから電話あったんだよ。泣いてるようだったから」

「何もしてねーよ」

「何かしたから、泣いてたんだろう?」

「一体、何を聞いたんだよ?それ聞かないと答えようが無いって」

「……何も聞いてない。明日、封筒返すってことくらい。ただ声が震えたから。何回掛け直しても電話に出ないし」

「何もしてないよ」

「私、言ったよね?こずえを泣かすことしたら許さないって?」

声のトーンが段々と上がっていき、抑えていた怒りがピークに達した寧々。

「ああ、言ったね」

しかし俺は俺でひしひしと伝わる怒りが、滑稽に思えた。”何をした?”ってなんだよ。”手を出した”とでも?例えはだが、手を出して泣かせたとしよう。そうしたら俺とこずえの問題で”しゃしゃり出て来んじゃねぇよ”こんな思いが支配していた。

もはや二人とも冷静に話し合う気はない。いや、始めから冷静に話し合うことは無理だってどこかで感じていた。売り言葉買い言葉になる俺たち。

「言ったね、じゃねぇよ!!」

「だから何もしてねぇよ!!」

「じゃあ、なんで泣いてたんだよ!!」

「知らねぇよ!!こずえに聞けばいいだろうが!!」

「ああ!もういい!ラチが開かない!切るわ!じゃあな!!」


ブツリと通話を一方的に切られた。その後、何度、掛け直しても電話が繋がることはない。そうして、こんな状況になって初めて冷静になる。

言いたい言葉はあんなことじゃないのに。他に届けたい言葉が山ほどあったのに。伝えたい気持ちだってこんなに溢れているのに。それをさせてくれなかった。出来なかった。いや…しなかった。と。


言葉を届ける手段は、もう、無い。


寧々の家はダメだ。仮にも病院の寮。夜、一人の男がドアの前に佇んでいるところを他の寮生に見られでもしたら、職場で変な噂が立ってしまうだろう。迷惑をかけるわけにはいかない。

明日もダメだ。明日はもともと約束してあった荷造りの日でもあったが、こんな状態じゃキャンセルするしか他ない。


何を馬鹿なことやっちゃってんだ俺…


自己嫌悪にますます陥る。


※ ※ ※


俺は見慣れた商店街をひたすら自宅に向っていた。…もう少し歩くと銭湯があって…その向かいにある角の薬局を曲がると…右側に赤提灯をぶら下げた居酒屋があって…少し歩くと家…。家路を心で呟きながら。ただひたすら。

――何かしたから、泣いてたんだろう?

また寧々の言葉が頭を過ぎった。

――ああ!もういい!ラチが開かない!切るわ!じゃあな!!

怒りを剥き出しにした寧々の言葉と、声の向こうからかすかに聞こえた噴水の優しい水音が全く合っていなかったことに、今ごろになって笑えてきた。

「ははははは。おもしれー。あーっはははは!」

可笑しくて可笑しくて笑いが止まらなかった。音が合ってなかったことが発端だが、それより滑稽な自分に笑えた。何やってんだ。俺。カッときて気持ちと逆の言葉を言った自分が面白過ぎて笑えた。そして笑い終わった後には焦燥感だけが残り、最悪な気分に陥る。なんでもいいから癒されてぇ…。そう思った弱い自分を発見した。噴水の優しい水音でもいい。とにかく何でもいいから俺を癒してほしい…



<噴水>



――――――あ。

頭がクラクラした。なんでもっと早く気がつかなかったのだと自分を叱咤した。俺が住んでいる市は日本で代表されるほど、とても面積が小さい市だ。市の中心にいても自転車で10分も走れば、隣の市に行けしまうほどの面積しかない。そんな小さな市に噴水がある場所は1つしかなくて。同じ市に住む寧々がいるわけで。

もしかしたら…

俺は自転車にまたぐと全速力で噴水のある公園に向かった。小さな市にある唯一の噴水がある場所。寧々は家に帰ってなんかいなかったんだ。まだ外にいる。あの噴水のある公園に。そう思った。

頼むうううううぅぅぅぅ!!マジでそこにいてくれぇぇぇぇぇぇええええええッッッ!!

心で強く願ったことが声に出てしまっていたのだろう。すれ違う人が驚きの表情で俺の方を睨んだ様子が一瞬見えた。俺はそんなことはお構いなしに夢中で自転車を漕いだ。



――――。



はぁ…はぁ…はぁ……

その公園は市の規模に適したほど小さい。ペンキが剥がれ落ちている木製のベンチが3つ、公園の側面に並び、これから元気よく緑の葉をつけるだろう樹木が隅に1本。中央には公園の比率を無視した大きめの噴水があり、それを街灯が心細く照らしているだけ。それでも地元の人達は愛着を持ち、正式名は他にあるが、愛嬌をこめて噴水公園と呼んでいた。

俺は噴水前で荒れた息が落ち着くのを待っていた。ぐるりと目視すれば全体が見渡せるその小さな公園に寧々の姿は見当たらない。

「…そんなウマイ話は無いって」

噴水の縁に腰掛けると、両腕を両膝の上に乗せ、項垂れ、雑草が茂る地面を見つめながら呟いた。

もう、いいよな?

諦めの言葉を心に問い、深くため息をつくと、フト何かが見えた。見つめていた地面の先に、小さな白いサンダルとメッシュピンクのマニキュアが塗られた足の爪。か細い足首。












「…らん」

見上げたその方には、寧々がいた。